ニュースマクロエドワード1世の「ウォーウルフ」:包囲戦を変えた中世の投石機

エドワード1世の「ウォーウルフ」:包囲戦を変えた中世の投石機

著者: Marginal Revolution·

重要ポイント

  • ウォーウルフは高さ60フィール(約18メートル)を超え、約500キロジュールの衝撃エネルギーで300ポンド(約140キログラム)の石材を投擲できた。
  • エドワード1世がこれを実戦で使用したのは1304年のスターリング城攻囲戦の一度きりで、武器の威力を確認するため防衛側の降伏を拒否した。
  • 配重式投石機は中国またはビザンツ世界で発明され、12世紀までに西ヨーロッパに広まり、城の建造者により厚く精巧な防御施設の構築を促した。
  • ウォーウルフの使用から数十年のうちに火砲がヨーロッパの包囲戦に登場し、投石機は次第に放棄されていった。
  • ウォーウルフの記述はローランド・エノスの著書『The Powerful Primate: How Controlling Energy Enabled Us to Build Civilization』から引用されている。
エドワード1世の「ウォーウルフ」:包囲戦を変えた中世の投石機

中世イングランドにおいて、このような破壊的な技術に反対する「暂停」運動は存在したのだろうか。これは、中世で最も強力だったとされる攻城兵器に関する印象的な歴史的記述が投げかける問いである。

投石機は中世に発達の頂点に達し、その中最も有名な例がエドワード1世の巨大な機械「ウォーウルフ」である。『The Powerful Primate: How Controlling Energy Enabled Us to Build Civilization』の著者ローランド・エノスによれば、この恐るべき装置は60フィール(18メートル)を超える高さがあり、300ポンド(140キログラム)の石材を数百ヤードにわたって飛ばすことができた。着弾時のエネルギーは約500キロジュールで、ローマのバリスタの1,000倍、一人の人間が発揮できる力の5,000倍に達した。

エドワード1世がウォーウルフを実戦投入したのは、1304年のスコットランド征服戦争中の一度きりであった。標的はスコットランド軍の最後の主要拠点であるスターリング城であった。防衛側は攻撃の前景に恐れをなして、機械が稼働する前に降伏を試みたと伝えられている。しかしエドワードは、武器を試験するまで彼らの降伏を受け入れようとしなかった。4日間にわたり、ウォーウルフは城の幕壁の一つを破壊した。スターリング城の陥落は、1297年のスターリング・ブリッジの戦いでのスコットランドの勝利後に激化し、1306年にロバート・ザ・ブルースがスコットランド王として戴冠するに至る第一次スコットランド独立戦争のより広範な戦役の一部であった。

ウォーウルフは軍事史家によって、これまでに建造された中で最大かつ最強の投石機と広く見なされている。投石機自体は、ローマのバリスタなどの以前の張力式兵器に取って代わった配重式攻城兵器であった。ねじり式の先行機とは異なり、投石機は巨大な配重を用いて長い投擲アームを振り、投射物の飛距離と搭載量を劇的に増大させた。配重式投石機は中国またはビザンツ世界で発明され、12世紀までに西ヨーロッパに広まったと考えられており、築城者と攻城者の力関係を根本から変えた。城の設計者はより厚い壁とより精巧な同心円状の防御施設の構築で対応した。エドワード1世自身がカーナルヴォンやコンウィを含むウェールズ各地に築いた城の環もその実例である。「ロングシャンクス」の異名を持つエドワード1世は1272年から1307年まで在位し、第一次スコットランド独立戦争を含むスコットランドでの軍事作戦を複数回実施した。

ウォーウルフがスターリングで使用されてから数十年のうちに、火砲がヨーロッパの包囲戦に登場し始めた。大砲はより簡便な構造で同等以上の破壊力をもたらすことができたため、投石機は次第に軍事利用から姿を消していった。

この記述は、ローランド・エノス著『The Powerful Primate: How Controlling Energy Enabled Us to Build Civilization』から引用されている。

出典:Marginal Revolution